「仏像―一木にこめられた祈り」(東京国立博物館)

前半のみ出品の「伝如意輪観音像」を目当てに開始早々訪れた。始め人垣の後ろから眺めた時は、ひとめ見てそのうつくしさにつかまれるという完成度ではなかったので期待を裏切られたけれども、間近の真下の真正面に立ち、像を見上げる姿勢で見ると、仏像の表情に生気が宿り、うつむき加減の顔と軽く開いた手と胸元の示す空間に包み込まれるような感じにとらわれ、この像はこの位置から見るように作られているのかと思い、見る位置によって変わる印象の大きさに不思議な気分になった。
わたしはもともとの好みとして洗練されたものに惹かれるし、特に仏像を美術作品として鑑賞する場合は細工が細かで滑らかな感じを美と思うので、円空と木喰にはまったく興味がなかった。
が、これがなんとも素晴らしかったー! 特に円空の、仏性がまさにそこに掘り出されていると、陳腐でも言いたくなる、木の姿に釘付けになった。荒々しい削り跡は様式とも洗練とも程遠いものだけれども、木の中に彼が見出した仏の姿を作為なく表出したことについて完璧だ!とても心を動かされました。
木喰は、円空が表した仏の姿が比較的抽象的な印象があるのに対して(そこがわたしは好きだ)、もう少し見た目を整えるという意味において世俗的な印象がわたしが思う完璧である感を殺いだが、目の前にある仏像の、この人にしか創り得ない形が強烈で、愛着を感じた。日々の生活の中でこんな仏像がさりげなく視界に入ってきて、しかもそれが、村のどこそこのあの木で作られていて、ということもわかっていたらしく、そんな状況を想像すると、そういった素朴な信仰がある人生がうらやましくて気持ちが熱くなった。
会場は予想していたほど混雑しておらず、久しぶりにゆっくりと鑑賞できたのが楽しかった。

ついでに「ダリ回顧展」も行っとくかーと上野の森美術館に行ったら周辺は人の列で大変なことになっておった…。最後尾を見ると入館60分待ちとな。ダリってそんなに人気者ですか? わたしは昔から好きなので、でも近年見ることがなく、今の鑑賞センスで見るとどのような印象になるかぜひとも試してみたかったのだけれども、絵画鑑賞はコミコミの会場で人に揉まれながらするものではない、それがどんなにスゴイものでも、というのが最近の持論でもあり、すごすごと帰途につきました。