最近は、作品を鑑賞する時に、表現がそのものの形について完全にバランスを保ってそこに在るということに心が騒ぐ。それは例えば、絵についてだと、写真のように視覚的に見たまま正しい形でという意味ではもちろんないのですが。
こう言ってしまうと何の説明にもならないけれども、見た瞬間わたしが「あ、これは完璧や」と思う作品が時々あり、最近の鑑賞の喜びはもっぱらその感覚を得られる作品の前に佇む幸福にあるわけなのであります。この感覚を初めて自覚したのは薬師寺の薬師三尊を見たときでした。若冲を好きなのはこの感覚を味わうことが出来る作品が多いから。最近はこの感覚を頼りに作品鑑賞の思い出コレクションをしており、その中には狩野永徳棟方志功なぞが入っていたりするわけです。