Oh!水木しげる展

昨年、ちょうど年末年始に行き損ねた*1「Oh!水木しげる展」が川崎市市民ミュージアムで催されているのを新聞で知ったので、ちょっと遠いけれども、気合を入れて行ってきた。
東京駅までバスで行って山手線で目黒、東急目黒線に乗り換えて武蔵小杉からさらにバス。朝10時発のバスに乗って現地に着いたのが午後2時。途中東京駅で昼食をとった時間を除いても、長い旅路だったわ…。
展覧会は、前情報では漫画を基に再現した造形物などが多いテーマパーク的な試みなのかと勝手に思っていたが、ほとんどが原画の展示という意外と地味なものだった。漫画家の原画を観るのが好きなわたしには願ったりかなったり、だったけど、子連れだったりしたら子どもは退屈かなぁと思いきや、会場で見かける子どもたちもじっくりと細かい原画に見入っていた。子どもでも一枚の原画に込められた力に引きつけられるんだなぁと感心したり。
会場には先生の誕生から現在までの生涯を先生の自伝漫画と解説で示しながら、その時々に描かれたスケッチや漫画の原稿がたっぷりと展示されていた。
自伝漫画まで読み始めるとキリがないのでそっちはそこそこにして、ここでしか観られない生の原稿をじっくりと観ていく。細かく描き込まれたペンの軌跡を眺めていると、何も考えなくてすむのが気持ちが良い。そこに在るその絵(表現)はそれがそれでしか在り得ず、ただそこに在るので、どんな批評も感想すら、わたしの心にも頭にも生むことがなく、静かに眺め続けていられる。わたしにとっては普段あまり持ち得ない時間であり、快感な状態だ。家で、水木先生の本を眺める時もそうだけれども、生々しい筆の跡を直接見られる原画だとその感がより強くなる。
わたしの状態もそうだけれども、先生の描く姿勢もきっとそうなのだろうなと思う。戦争の悲惨な悲惨な状況をただただそのままに描いた、それとも区別がつかぬほど腫上がった人の顔のアップという画面でも、そこには何の批評も批判も非難も思想もなく、ただそのように在る。この状態のものだけが何かを語るための表現では動かさない人をも動かす力を持つのだと思う。
その他、水木先生が旅行で撮りためた写真に自身でつけたコメントなどをいちいち読んでいたら、通常の展覧会の倍ほど時間がかかってしまい、御茶ノ水で夫と6時に待ち合わせていたので、自由が丘のフェアトレードの店に寄る予定が頓挫してしまった。武蔵小杉だとちょうど帰り道だったのにな〜。