「嗤う伊右衛門」

今更だが京極夏彦さんの「嗤う伊右衛門」を読んだ。京極さんは出会って感謝したい作家のひとりだけれどもたくさん読めないくせにあれもこれもと欲張るわたしなので、彼に関しては京極堂シリーズ以外の作品を読んだのは初めてなのだった。それにしてもシリーズ近作について、たとえそこで大好きな榎木津が大暴れしていようとも今ひとつ入り込むことができず、シリーズにのめり込んでいた時期は立て続けに読んで、熱に浮かされたようなところがあったので、わたしにとっての京極マジックが解けたのかな?と思っていたが、この作品にはあの頃の熱と同じく引き込まれた。
内と外。わたしという感覚と世界の対峙。観念として世界と自分を思う時の感覚が、登場人物の心情描写という形できれいに表れ、物語として重なったりずれたりしながら最後に収拾する。それが実は熱烈なる恋の話ときたひにゃ〜。わたしをよく知る友人が「あれは恋の話だからきっと好きだと思いますよ」と言っていたのは確かだった。しかも恋が結果間接的に成就する悲劇、なんだよねぇ。とてもわたしの好みにはまっておもしろかったというわけです。