「ロボット 完全版 (タミル語バージョン)」於渋谷TOEI

東京国際映画祭でチケットを取り損ねましたインド映画、よもや全国でロードショウ公開されるとは! 
公開前に雑誌で試写会の案内を見たときから楽しみに! しかし、日本での上映にあたって50分程度カットされて、そのほとんどがダンスシーンと聞いてガッカリしていたら、渋谷で完全版が限定公開されるとのことで、そりゃ、そっちに行くでしょう、というわけで、6/1まで待って、渋谷TOEIへ(こんなときは東京在住でよかったと、しみじみ)。
とっても久しぶり、映画館でのマッサラー映画! とはいえ、そのマサラな部分(ダンスやアクション)は、我を忘れて口ぱっかーんな抜け感には至らなかったけれども(インド映画のパワーの水準は保っているので、それなりに楽しんだけど)インド映画としては手抜きのない視覚効果が展開されて、ハリウッド映画か、と思うような画面の中で、しかし随所にインド的な考えに貫かれた言葉や行動がちりばめられているのが、ファンとしてはニヤリだったり。
そんな感じで、ラストシーンまで、わりと冷静に楽しんでいたのですが、最後の30分くらいで、突如、感情のふたがパカッと開いたと体感した瞬間が(この感じは久しぶりー。インド映画ではよくあるカタルシスですが)。バカバカしいほど陳腐な展開なのに、ここだ、というところで感情がダーッとあふれる。思考(頭の働き)を超えて、感情そのものが現れて流れる(身体知ってことなんでしょうかねぇ・・・)。気持ちがいいのです。
全編通してつっこみどころ満載、展開もムチャクチャだけれども、見てくれの破天荒に惑わされてはイケナイ。扱う主題は深ーいのであります(これもインド映画にはよくある状態)。
ラストでロボットが自分を分解しながら語るのは、ロボットと人間の関係に仮託した神と人間の話で、そこでインド人の言うことは「私(とは創られたもの)のミスだ。あなた(とは創ったもの)のせいではない」
人が不幸になるのは神のせいではなく、その人(の間違い)のせいだと「断言」して、神を敬い全てを受け入れる。神は絶対であるが、しかし人にも自由意志がある。そして全てを何のせいにすることもなく「自分」が受け入れる。世界はそのように在る。わたしもまた、このように在る・・・。長年インド映画に感動してきた理由が、この作品にもまた、ありました。
細かいところも、根本的な流れにかかわるディテールはきちんと繋がっていて、わかりやすくて面白かった。アシモフロボット三原則の扱いとか、裸の少女の救出のあたりなど。
あとザッツインド映画!とひとり拍手を送った細かいところは、ラストで、敵対していた悪人の博士の写真が壁に飾られており、途中で死んだので写真だけど、生きていたらきっとニコニコ笑って輪の中に居たんだろうなーと、いつもの最後にはみんないい人が、ここでもちゃんと(写真を使ってまで)実現していることに気付いてほのぼのしたのであった。