「家なき鳥」

インドの日常を舞台にしたヤングアダルト小説だというので興味を持って買った。作者はアメリカの詩人でヤングアダルト小説の作家だということだけれども、インドの生活の丁寧な描写が現実味を帯びて、インドの文芸映画を見ているような印象を持った。また、主人公の心理の動きや振る舞い、物語の展開やそれに対する人間の動きもとてもインドらしいと思ったので、アメリカ人が書いたということが不思議な感じがする。ここで言う「インドらしい」という感じをわたしがどこで得たかというと、わりとたくさん観てきたインド映画からです。
主人公のコリーは日本の少女の現実からするとありえない過酷な現実を生きる。13歳で顔も知らない少年の家に嫁いで、それが彼女の持参金目当てで、そういうことは、それでもよくあることだとしても、その上、夫の少年は死病で余命幾何もなく、目当てにされた持参金はその少年の治らない病に費やされるために求められたものだったという念の入った無情さ、悲惨さ。当然のようにコリーはすぐに未亡人になり、義母にはこき使われ、彼女の未亡人年金は義妹の幸せな結婚の持参金として費やされ、ついには何もかも奪われて「未亡人の町」に捨てられる。
書いているだけで哀しくなるような悲惨な状況の羅列なんだけど、この物語は悲惨な話ではなく、むしろ希望に満ちた話なんですね。それはなぜかというと、コリーがこの状況に決してくじけないから。と書くとやたら明るくて前向きな少女が活躍する話のように聞こえるけれども、コリーは状況を前向きに切り開いたりはしない。ただ静かにそこに居る。ひどく落ち込むこともなく、悲惨さと戦ったりすることもなく、静かに自分を保ちながら、運命を受け入れる。でも、流されてあきらめているのではなく、決して自分を手放すことなく、思いを巡らせ、状況の中で出来ることをする。
どんなところでも留まり、運命を受け入れ、自分を保つことのみ努力して、静かにそこに在る、というのはインド映画で必ず見る人間の在り様で、そしてあらゆることに関して、作り手が何の評価もしない、あるものをあるように透徹して提示するというのがインド映画の表現だといつも思う。そこにはなんの答えも現れないけれども、この世界の在り様に自分を重ねることができるので救われる。少なくともわたしは。
「家なき鳥」というのは作中にも何度も出て来るインドの詩人タゴールの詩のタイトルからとってある。タゴールの詩、そしてコリーが折に触れて自分の思いを縫い込めてゆくキルトなど、芸術が魂を導くということが描かれていて、読んでいて心に染みた。そしてラストはとてもすてきな恋のハッピーエンドなので、冒頭の悲惨さにめげずに読み終えると静かな幸福感に満たされること受け合いなのです。