「ハウルの動く城」

うむ〜。観る状態が悪かった。前の日の晩にやっと原作を読み終えて行ったわけよ。そうするとね、原作の内容を事細かに覚えているわけよ。それで何が困るかというと、映画は原作と全然違う話になっていたわけなのですね、あれは城が動くということとキャラクターの「名前だけ」を借りたまったく別の話でした。
映画が始まってハウルの城ががっしゃんがっしゃんと動いてくるのを見たときは「おお〜、動いとるよ(動く城だけに)。城ってこんなんなのか」とすーっと映画に入りそうになったんだけど、すぐに「あれ、あれ? そんな話じゃなかったはず、違うよ、そこは、ええ〜、それを抜かすんかい? えっ? そんな話はなかったよ」とあちこちでひっかかって、まったく映画の世界には入り込めなくなったのだった。ハウルの登場シーンとか、他にも観ていて気持ちが良い画があちこちにあったりしたから、余計な違和感がなかったらもっと楽しめたかもと思うととても残念。邪念なしで入り込んだらあの世界でふわふわと遊ぶことが出来る楽しい作品だったのかも? でもそれにしても破綻なく完成した作品とは言い難い。途中、退屈で寝そうになったりしたし、話はわかりにくいし。せっかくのエピソードについての伏線がわかりにくくて「おお〜!そこか!」という気持ちよさをもっと感じさせてくれてもよかったのにと物足りないし(ハウルとソフィーの最初の最初の出会いについてとかね)。その上原作を知らずに行くとさらに話がわかりにくいのではないかと思うんだけど。それも物語のものすごく要所に関して。
それにしても。もともと原作がある話をあんなに変えてしまうのはアリなんでしょうか? 原作は映像で現せたら楽しそうな世界として完成しているのに、わざわざ解体してしまう理由が良くわからない。原作を読んであの世界を目に見える形にしたかったのなら話は変えないほうがいいし、戦争の話を作りたいのならそれにふさわしい話を探すなり新しく書くなりすればよいのであって、ああ、いや、話が解体されていても違うものになっていても、出来上がったものがちゃんとつじつまが合うものになっていたらそれはそれでよいのかもしれないけれども、この作品に関してはそこらへんがうまくない。いや、でもうまくいったとしても、既にある話を自分のメッセージのために作りかえるのはやはりあまり潔いやり方とはいえないんではないでしょうかね。
細かい点で「ここはどうしてもイヤダ!」と思ったのはソフィーの声!出来れば若い人にやって欲しかった。少なくとも若いソフィーは。あれも作品に入り込めなかったひっかかりのひとつだった。あと、どうしても納得できないのはハウルの瞳の色が緑色ではなかったことだよう! 緑色の瞳の色がわたしの好みなので思い入れが深いということもあるけど、ハウルは自分ではその方がいいと思って金髪に染めているけれども本来の色は黒髪で、ソフィーが黒髪の方が瞳の緑にも似合ってすてきなのにと思う、なんて場面も原作にはあって(確かあったハズだ。原作をパラパラ見直したところ見つからないけど、あったハズだー)、それなりに意味がある設定なのだから、そんな細かいところは変えても変えなくてもいいんだからこそ変えないで欲しかったわー! 見たかった!鮮やかな緑色の瞳のハウル!くそ〜。
でも原作になくて映画にある設定でものっすごく!わたしの好み!な設定もあった。ネタばれになるので詳しくは書かないけど、ハウルとソフィーの最初の最初の出会いについて。映画後半、見るのにダレてあくびしてたけど、あそこで一気に目が覚めた。あれがもっとわかりやすく出てきたらもっと印象が深い作品になってたんだけどな。あとハウルのビジュアルは見ていてとっても楽しかった。登場シーンの色っぽい首とか空を飛ぶ様子とかね。「ラピュタ」とは反対にそそられましたとさ。