「クリスマス・キャロル」

市村正親さんのひとり芝居「クリスマス・キャロル」を観に行った。場所はル・テアトル銀座。e-plusのプレ・オーダーに外れて一般発売の日の午後にとったチケットの割には真ん中の真ん中といういい感じの席だなぁと思って行ったのに、座ってみると前のおばちゃんの頭がけっこう邪魔でガックシ。ル・テアトル、座席のすわり心地は悪くないんだけど、配置をもうちょっと見やすく出来なかったんだろうか(わたしは背が低いんで、座席には普段から苦労しとります)。しかももぞもぞ動くと椅子がキイキイ鳴るので困った。劇場でこういう体験は初めてだ。高級感溢れる劇場なのにメンテナンスはイマイチなんでしょうか。
さて。市村さんです。ひとりで何人もの人物を演じ分けて、そのひとりひとりに明確な存在感を与える妙技がすばらしいのは当然のこととして、さらにすごいのは、彼は舞台の上という架空の空間と観客が座って観ているこの現実の空間を自在に行き来して、演じる集中力が途切れないということなのだ。そこに強靭な意志と彼の全てのものへの愛を感じる。
舞台の始まり、彼は客席から出てきた。背後で歓声が上がったので振り返るといつものモジャモジャ頭の市村正親が笑顔で通路に立っている。周りに応えながらゆっくりと前へ進む間、彼は素の市村正親。そして舞台に上がった瞬間に力強い声で物語を語り始め「クリスマス・キャロル」の世界を出現させた。演じるのは彼ひとりにもかかわらず自然に展開される幾人もの人々の物語。
そして彼は時々舞台の世界から観ているわたしたちの世界へ戻ってくる。「小休止」と書かれた札を下げて舞台の上で休憩してみせたりする。集中して出現させた舞台の世界から気をそらせて、それでも舞台の緊張感が途切れないことに感動する。「あちら」と「こちら」を行ったり来たり、物語も厳しかったり笑えたり、緩急をもって進んでいく。市村さんはいつも「演じる自分とスタッフと、観客も含めておおきな環となって舞台を完成させる」と言うが、この作品では特にその意思を強く感じることが出来る。
そしてクライマックス。主人公のスクルージが人生に目覚めて舞台は大きな喜びに満ちる。光溢れるクリスマスの朝。街を歩くスクルージとともに清々しく暖かさに溢れた気持ちに満たされたわたし(たち)の方を市村正親が向く。「あ、そうか。来るぞ」とわたしは思った。
「みなさんにクリスマスの祝福がありますように」物語の最後に彼が言う。その瞬間、舞台の上の祝福はこちらへ向けて一気に開放された。ここにはない世界とこの現実とが喜びによってつながり重なる至福の瞬間を迎えて幕となる。あとは仕事を終えた演者の晴れやかな笑顔を土産に帰途に着いた。
(それにしてもこの時期の銀座はキラキラして楽しいですね。ひとりで歩いてるのがわびしいっちゃわびしいんですが)