「少子」についての補足

あれから考えていたんだけれども、彼女の文章に対する違和感について。で、思い当たることがありました。「痛いのが怖い」はわたしの場合で言えば、「生きるのが怖い、辛い」に直結していたんですね。それはとても絶望的で差し迫った感覚でした。だから痛いのが辛いのに人生は楽しいということがつながらなくて「そんなこと、軽々しく言わんといて欲しいわ」という反感があるんだなぁと。
「負け犬」の時もそういえば思ったんだわ。わたしは自分が女性であるということにうまく折り合いをつけられないのに、男女間の関係というものに対して潜在的な欲望(別に肉体的なことばかりではないのですが。少女漫画的な恋への憧れも含めて)はそれなりに強くて、そこらへんのバランスが上手く取れなくて、大きな欲望を抱えながらそれを実社会の中でうまく実現できなかった(大変まわりくどく言っていますが、要するに大学卒業するまで彼氏イナイ暦を更新していた自意識過剰で奥手な人間だったってことです)思春期および青春だったので「結婚できないかもしれない」というのは社会の制度にはまることが出来ないということと同時に男女間のいっさいを体験できないかもしれないという切実な恐れだったので、あれもこれも体験しながら楽しそうに「負け犬」とか言われても、何もわかってないわ、という憤りだったんだなぁと思うわけです。
いや、いいんですよ、この人の文章はそういうところでひっかかって云々するものではないんだろうとわかってはいるんですが、わたしにとっての違和感はそこで、そこに違和感を持つ人は世の中には少ないのかな?と確認したりしているだけです、ハイ。