平和と戦争

わたしが生きている間に日本も戦時体制になるんだろうか? 「生きている間」なんてそんな悠長な話ではないのかもしれない…。でもそれを止めるために今こそ立ち上がろう、という方向にはどうも気持ちが向かない。止められるものだったらそもそも戦争なんて存在しないのではないんだろうか?とつい思ってしまうから。人間は平和を望む。同時に戦いを志向する。人間について考えるとき、あらゆる場面でこういう対立に出会う。二律背反ってつまりそういうことなのかな?(よく知らずに言ってます)
わたしは平和を望むのが人間の正しい在り方で、戦争は間違っているとずっと思って生きてきたけど、それはわたしがたまたまそういう時代に生まれ育ったってことなのか?
あらゆる活動は「幸福」を求めて行われると思う。戦争が悲惨なのは確かだし、それを目の当たりにすれば当然「平和」を望む。でも戦争が悲惨だと腑に落ちていなければ、自分の利益の確保や存在の証明のために戦うことが幸福への道行きだと思うのも成り行きとしてあるような…。
いや、でも、本来は「平和」が正しいと思う。全ての人間いや存在が、暴力にさらされずに穏やかにその生をまっとうできることが間違っているとは思えない。だけど、人はまず「自分の」幸福を追求するところから始めるし、手っ取り早いやり方が自分の利益を確保したり存在を証明したりすることだとすると、それぞれがそれぞれで個人の利益を追求すると当然、戦いは起こる。
ただわたしの感じでは人間は、というか存在は個々でありつつかつ全体でもあるので「個々」の利益を追求して全体である自分を置き去りにしていたら「幸福」には至らないのが事実のような、その事実にみんなが同時に気付けば、きっと戦争が存在しない世界になると思うんだけど、そんなことあるのかなぁ?とここで無力感に襲われるわけであった。
結局わたしがするべきことは平和であっても戦時であっても日常を生き抜くことだといつもの結論に達するにいたる。しかし、このわたしに戦時の厳しい日常を生き抜く力があるのかが大いに不安なので出来るだけ戦争には反対したいような、これってつまりは自分の利益のために平和を望んでいるってことなのか…と思うとなんだかなぁ…。そしていつか圧倒的な暴力にさらされた時に「あの時立ち上がって戦争を止めていれば。あんな理屈は絵空事だった、平和だったからこそ述べられたんだ」と後悔するかもしれないという不安を抱きつつ、もうそろそろ、覚悟を決めて、現在はこのぬるい日常をそれはそれなりに生き抜くことに専念することにいたします。