ヨハネ・パウロⅡ世のこと

わたしはキリスト教に信仰の告白をしていないが、ヨハネ・パウロⅡ世に個人的に思い入れがある。きっかけはしょーもないことなのだけれども、どうしょーもないかというと・・・「エロイカより愛をこめて」でありまして・・・。まじめに信仰を告白している人にはしかられるかもしれませんが、事実なのでしようがないのであります。
エロイカ」から話を始めると、コミックスが2巻まで出ていた時点でファンになり(中学生の頃)以後繰り返し読んでいる。一時期は熱烈!!なファンだった。それで、イタリアを舞台にした話の中に法王が出てきたことで知り、とにかくあの作品(正確には少佐・・・)大好き!だったのでその熱に当たって関連することならなんでも気になり、好きになると言う時期に、これまたジャストタイミングで初来日された本人を見て強く惹かれた。
何に?と問えば、その存在感に、としか言いようがないけど・・・。当時、朝日だか毎日だかのグラフ誌で写真満載の特集号が出て、それを近所の行きつけの本屋でレジまで持っていくのが恥ずかしくて買うのに三日かかったという思い出が。今思い返すと何がそんなに恥ずかしかったのか?と思うけど、当時、周囲を見回しても「ローマ法王が好き」と言って理解してくれる人はまず見当たらなかったし、ふつうに中学生が買うものではないという思いが恥ずかしさを誘っていたのでありました。新聞を切り抜いて画用紙に貼り付けてまとめて冊子を作ったりしていた。なんだか後ろ暗くてちまちました青春だったことよ。
彼の思想に関しては実はよく知らない(保守的な人だったんだそうですね)。ただわたしはあの姿、立ち居振る舞いに強い固い信仰の頂点として全てを一身に背負う覚悟を感じて惹かれていた。それはわたしの妄想かもしれないけれども、惹かれていた。わたしは宗教的なものに強い憧れを抱きながらも成長するにつれて宗教からは距離を置くことになったが、その捨て切れない憧れを個人に託していたそのひとつの表れとしてヨハネ・パウロⅡ世があった。だから今回のドイツ旅行で、わたしがヨーロッパ大陸に足を下ろした日に、それはわたしの日常において滅多にあることではないのに、法王が亡くなったという偶然に驚くとともにひどく感傷的な気分になったのでした。
ずいぶん昔に一度だけローマに行ったことがある。バチカン市国を訪問したのは大晦日の日で、たぶん普段よりも濃い宗教的雰囲気があったと思う。礼拝堂の中で地を這うように、天から降るように、絶えず流れ続ける肉声の賛美歌、ここかしこでひざまずいて一身に祈りをささげる信者の人たち。信者ではないわたしにも神の声が聞こえてきそうだった。一歩足を踏み入れた時「奈良の寺院のようだ」と思った。視覚に見える形は全く違うけれども、宗教の場所としての本質的な存在感が同じなのだということを体感した不思議な体験だった。
(ところで、ローマ法王は「教皇」と言うのが正しい訳なんですってね。そんなことも始めて知りました)