「少子」酒井順子

薦められて、酒井順子さんの「少子」という本を読みました。酒井さんとは「負け犬」の人です。(右の画像はハードカバー版。わたしは文庫で読んだ)
え〜と、言いたいことはよくわかった。わたしも「痛いのはいやだ」が激しくて、社会人になるまで歯医者には行けなかったくちなので(それはもう、人に言っても決してわかってもらえないと絶望するほど、わたしは痛がりの怖がりなのでした)。でも、ある時、そういうのを超えて、人生を受け入れようとした時期があって、その結果、結婚しよう、子どもも生もう、と思った。
今の自分の生活を守りたいという意識が強いため、結婚しない、子どももいらない、というほど、今の生活が楽しい、というのはうらやましい限り。わたしは、ずっと長いこと人生って楽しくなかったしな。だからって、そこから逃れるために結婚しようとか思ったわけではなくて、いくら自由で気楽で邪魔されるものなく何でも出来ても、楽しくなかった(むしろ生きてるだけで辛かった)ので、なんなんだろうなぁと考えてつめていくうちに、「痛い」とか「邪魔くさい」とか、突き抜けちゃって、誰でもが脈々と行ってきたところの結婚とか出産とかいうところに回帰した、ってことなのでした。
酒井さんは文章がうまくて、見たものを形に(言葉に)するセンスが卓越していると思うので、彼女が書くことが人に受け入れられるのもわかるし、その点では認めるけど、その内容が、わたしから見ると、後ろのほうで留まっている感じが否めないので、なんだか歯がゆい感じ。そして、その人がどんな場所に居ようと、別の場所があることを意識して、自分の場所から外へ向かって自分を開いたり進んだりしようとしている人の文章は読んでいて得るものがあるけれども、酒井さんのスタンスは、自分が居る場所の解説でしかないので、わたしはあえて追いかける必要がある文章だとは思わないというのが読後感でした。