ら抜き言葉のこと

一時期、ら抜き言葉に悩んでました。「食べれる」が巷でよく聞かれるようになってきた頃に。わたしの感じでは「食べれる」はとてもキモチワルイ。それでも若い世代の人が言うのはしょうがないと思っていたけれど、同年代の人でも何気なく言い始めたので「正しい日本語を使おうよ!」と憮然としていた。でもら抜き言葉についてのあるコラムを読んで、自分の中で折り合いがついた。
そのコラムの内容は、著者の人(わたしよりももう少し上の世代の人だった、確か)も「食べれる」なんて間違った使い方が横行している!と怒っていたら、横で話を聞いていたお祖父さんに「お前もら抜き言葉を使っている」と指摘された。どういうことかと聞けば「走れるとか行けるとかみな、ら抜きになっている。わしらが言えば走られるであり行かれるである」と。その人は、それを聞いて以来ら抜き言葉についてあれこれ思わなくなったと書いてあり、それを読んでわたしも納得した。確かに、わたしも行ける、走れるは小さい頃からあたりまえに使っていたし、言われるまでら抜きとも気付かなかった。
でもやはりわたしは「食べれる」はキモチワルイ。けど、少なくとも「間違っている!」と憤ったりはしなくなった。とはいっても「いかせれる」とか言われるとウガァとのどが痒くなるんだけどな…。