スピッツのこと

毎日「スーベニア」を聴いとります。スピッツについて今更どの曲が好きとか嫌いとかはないんだけど(敢えて言うなら全部好き。でも単純に好きとだけ言い切って終わることはできないのがわたしにとってのスピッツ、デアル)、聴き始めに一番印象に残ったのは、「正夢」は別とすると「恋のはじまり」でした。
買った雑誌は「rockin'on japan」だけ読んだ。インタビューの内容はわたしが彼ならこう言いそうなと日ごろ思うことそのままだったので特に新しい発見はなかったけど、あんなにユリが似合う男だとは知りませんでした(写真で大きなユリを持って写っています)。
スピッツを聴くという行為はわたしにとっては宗教における「祈り」に近いものがある。どうにもここにいることが辛くなる、いたたまれない状態の時に聴くと「呪文(マントラ)を聞いて性を取り戻すダーサのように(by「ワン・ゼロ」佐藤史生(マニアックな例えでスンマセン)」平静な状態になることが出来る。もちろん楽しいときは楽しいままに穏やかにただ在るということを静かに受けとめて味わい尽くす心境になる。
「ロビンソン」を初めて聞いたときのことは今でもはっきりと覚えている。実家の居間。出勤前の朝。全ての身支度を整えて家を出る寸前。TVの「おはよう朝日です*1の芸能コーナー(これを全部見ると遅刻する)で、確か最近ブレイクしたアーティストとして取り上げられたのだと思う「ロビンソン」が流れた。バッグを肩に居間を出ようとしていたわたしはふうっと振り返って、もうチコクすると思いながら、でもTVの横の電話台に母がチラシを切ってクリップで留めたメモ用紙に筆立てから慌てていたので筆ペンを取って「ロビンソン、スピッツ」と書いて家を出た。帰宅して、チラシの上の殴り書き「ロビンソン、スピッツ」何度も何度も頭の中で繰り返す。以来わたしはスピッツのファンなんだけども、後に「ロビンソン」は出来としてはイマイチならぬイマゴ、イマロクくらい、売れた曲だけど、とインタビューで読んでちょっと淋しかった。でもわたしにとっては出会いの曲なので出来も深さも考えられない特別な一曲なのだ。
スピッツの何が好き? マサムネくん(同い年なので家ではこう呼ばせていただいている)の声。アルバムを初めて聴いたとき意外とギターがギュンギュンしていたこと(わたしは高校生の頃ハードロックに傾いていたのだけど、同じ匂いを感じたサ)、歌詞の内容。生まれながらの詩人が掴んだ、世界の方から降ってくる言葉。それが狂いなく在るべき場所に配置されて、しかもその言葉が現すものといったら、右も左も上も下もいいも悪いも明るいも暗いも優しいも辛いも希望も絶望も、全てが同じに傾かずに在る。とても魅力的だった。
何かを「好き」という状態。それは対象の全てを知りたいという欲望が肥大すること。大抵の好きはそうなんです、わたしの体験では。好きなものが出来ると大変よ。情報を集めて集めきれないことにイライラして、そしてどんなに大きな情熱を注いでも必ずいつか飽きる。通り過ぎていってしまう。けれどもただひとつスピッツだけは始まりから今まで、まったく違う「好き」だった。なぜそうなのかはわからないけど、そうなのだ。始めからただ触れている分だけで満足できた。CDを聴いて。たとえライヴに行けなくても、TV出演を見逃しても、イライラもせずくそうとも思わず。雑誌の記事にもあまり興味がなく(たまにはチェックしてたけどね)、でも情熱はどんな好きにも劣らず、そして同じ熱でもう十年以上も続いている。特別な存在なのでした。

*1:当時は関西在住だったので朝はずっとこれを見てた。こっちに来て見られなくなったので今は「めざましTV」を見てるワケです。