英語の話をもう少し

二年くらい前に「英語は絶対勉強するな」という本(流行っていたので知っている方も多いかと)の方法に深く納得して、実践していたことがある。それなりに真面目に。音声の聞き取りから始めて書き取りと音読もやってそして映画を字幕なしで毎日見続けた。そこらへんで猛烈に活字を読みたくなってきて(「英絶」方式では聞き取りが完璧に出来ないうちに活字(特に小説のような実用ではないもの)を読んだりすると、せっかくそれまで培ってきた英語を翻訳しないで英語のままで身につけつつある状態が一気に崩れるのでタブーだとされる)ちょうどハリポタ5巻が出たので、もういいかぁと自分の欲求にしたがって本を読むほうに切り替えた。
結果としてあの本にあるように急にペラペラ話せるようになるレベルまでは行かなかったけど、わりと毎日真面目に聞き取りをやっていたので、以前に比べると格段に聞き取り能力は上がった。単語一字一句でつまづかないで文章を束で聞き取れるようになったし、いちいち翻訳しないで英語をそのまま聞いてそのまま頭に入れるということを出来るようになった。
あと大きな収穫は英々辞典を使うようになったこと。「英絶」方式は外国語を学ぶのには外国語の体系そのものを母国語を身につけたときと同じようにそのものから身に付けていく方式なので、いちいち細かく意味を考えない、ましてや違う言語に変換して意味だけわかったつもりになっても意味がないってことだったので、当然英々辞典を使うわけだけど、昔は英々辞典なんて見るだけでぞっとしていた(だって、わけがわからない文章の意味を知るためにさらにわけのわからない言葉が並んでいる辞書を引くってどういうこと?って感じですよ)けど、今では英語を読むのに日本語を引っ張り出してくることの方が気持ち悪くなっている。まぁ資料のようなものを読んで文章の意味だけ知りたいときはわからない単語を日本語で引く方が早くて便利だなと思うけど、基本的には英語は英語で理解したいという欲求が身に付いたのは「英絶」のおかげかな。
それにしても、わたしが大学も含めて何年も外国語を学びながら、おそろしく間違った認識による間違った方法で辛くも悲しい努力をしていたんだなぁと今更ながら思い起こします。まぁそんな間違ったやり方でも技術としてものにする人はいるんだから、わたしは基本的には語学の才能がなかったのかなと思ったりする(これにはわたしの性格も関係していると思うけど、語学習得向けでないというのもまた才能のなさということで)。でも今、技術としてものにせねばというプレッシャーから解放されて(今更、語学を身に付けてそれで身を立てねばってこともないし)みると、わたしは言語に関する諸々が(外国語を学ぶにしても、こうして日本語で文章を書くにしても)とても好きなのでコツコツ実践していきたいと思うし、そうしているうちにふと使えるようになるかも外国語も!と思う今日この頃でした。
とりあえずしばらく英語を云々して、あともう一度ヒンディー語を復習して、それからできればドイツ語をかじってみたいというのが希望であった。希望は希望とて実践力が乏しいので死ぬまでに果たせるかな…。でも焦らずに細くなが〜くでも継続していく所存でございます。